黄色い星の子供達 人間のムーブメントは慣性の法則と一致する


今日は、まとめが一段落したら黄色い星の子供達をやってたので見ていた。

いつも思うのだけど、歴史とは根本的に等価で動いている。殺しっぱなしになることも殺されっぱなしになることも勝ち越しや負け越しになることも、まずない。

ユダヤ人たちはなぜ第二次大戦で死ぬはめになったのか。それはそれだけの数殺してきたからに他ならない。

例えば、各国のナチス占領下で、ユダヤ人もロマ族もひどい目に合わされた。でも、皆忘れがちなのが、言わなきゃ出自のわからないそれらの人を

何で現地人が積極的に虐殺することに手を貸したのかって事実だ。

一般的に、ロマ族は小さな犯罪や、山間部での強盗・山賊行為(ルーマニアで女子大生を殺したのもロマ族だったらしい)をしのぎにしており、

正業を持つものでもいわゆる香具師、露天商の類が多かった。

ユダヤ人は、まぁ皆が知っての通り金融業に手を出すものが多かった。そして、歴史的にローマ帝国の時代からシオニズム運動を展開しており、

ヴェスパシアヌスとティトゥスの親子を相手取って8年間の戦争で謂れの無い血をローマ側に相当流させている。

この戦争自体が、ユダヤ教の自種族崇拝理論で他部族との共和を絶った事に端を発しており、納税拒否が原因だったといって良い。

そして、日本で不景気で何人自殺したのかってのを何百年とやってきたわけで、債務者の精神を苛んで数々の悲惨と死、離散を生み出したことだろう。

そうした部族外に広がっていった波紋が、定期的に帰ってくるのが歴史の流れであり、ローマ時代ではユダヤ戦争、第二次大戦ではナチス特務及び占領下大陸側欧州による被虐待だった。

 

従って、広がっていった波紋が自分に帰ってきただけだったという話なのだ。戦争前のドイツのインフレの最中は、レストランのメニューに値段が書いてなかったそうだ。食事中に、食材が値上がりするから。

通貨の空売りでそこまで酷いインフレを引き起こして強欲を極めた結果ついに皆殺し寸前まで追い込まれた。

そう、歴史には慣性がある。東に投げたボールがいずれ西から自分の背中に飛んでくるようになっている。

 

日本でも、そうだった。建武の新政の時、名和長高、赤松円心、足利尊氏などが東西南から中央に向かって圧力を強めてきた。

東で対決すると誰もが思った足利と北条政権の決戦が、京都の六波羅探題戦で決着したのは歴史的事実である。

そしてその慣性の法則の力は中央近辺でぶつかり合って、楠正成と足利尊氏の衝突にいたって、また日本の僻地に飛び火して行った。

そして、九州から足利尊氏が帰ってきて、律令制が完全に崩壊した。

応仁の乱のときも同じだった。初めは細川・山名・大友による小規模な中央の争いが、やがて地方の尼子経久、武田信虎、斎藤道三、北条早雲らに伝わり、地方の経済改革と非中央緒勢力の増大を招いた。それはやがては関門海峡・駿河・土佐・阿波・美濃を通じて再び中央に影響を及ぼしていった。

 

何が言いたいのかって言うと結局人類は過去から全く何も学んで無いって事と、今は応仁の乱だったり第二次大戦だったりする大きな争いの渦の淵にいるって事だ。

ユダヤ人は前の悲惨な経験(本当かどうかの議論はとりあえずおいとこう)から何も学ばずに、自分の金を増やすために他人の生活を犠牲にし続けてきた。

日本人は、ついこの前まで我々は世界で最も好戦的で、白刃の舞わない日は無いってほど内戦に入り浸ってた国だってことをすっかり忘れている。

 

俺が投資の際に一番気をつけていることは、「今度だけは違う」といって違うものなんか歴史が始まって以来有ったためしは無いってことだ。

今度こそ返すといった金もやっぱり返ってこないし、今度こそ履行するといった約束もやっぱり履行されない。

それを忘れて、今度こそ永久の平和がやってきたと思っているけど、それは大間違いだって事だ。

そして、直近の争いでバランスの取れてなかった死者数は結局近未来の争いで0になるまで帳尻を合わされるだろうって事。

 

そういうわけで、因果はやっぱり巡ってくるし、やった事は形を変えてやり返されるって事を人間が理解するまで、やむことなく争いは続くだろう。

第二次大戦で外に向かった日本の慣性の力は、日本の世代間抗争の形でぶつかり続けている。そろそろ形を変えて外へ出て行くべきタイミングが来た。

きっと流血の事態が近いうちに起きて、外へ敵が出来る。

連合国が遠い山の向こうや海の向こうへ撃った弾も今頃コーカサスの上空を飛んでいる所だと言って良い。

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