南京大虐殺・従軍慰安婦・100人斬りは「存在する」 河野談話・河野洋平氏提訴 事実と認識の違い、日本人が今考えるべき歴史


 

 

今日たまたま知り合いのサイトでニュース記事見てたら、

 

-キジトラ速報-

河野洋平氏を提訴へ 「国民運動」談話撤回求める署名も3万超

 慰安婦問題とは直接関係ないはずの米国に慰安婦の碑が建てられるなど、韓国・中国による慰安婦問題を題材とした日本バッシングが繰り広げられる中、今年 7月に発足した「慰安婦の真実」国民運動(加瀬英明代表)が10日、参議院議員会館で記者会見し、騒動を泥沼化させた根源といえる「河野談話」の撤廃を求 める署名3万867人分を同日、国に提出したことを報告。また近く河野洋平氏個人を提訴する考えも明らかにした。

女性論者7氏も堂々主張「河野談話は撤廃を」

 会見で、加瀬代表は「慰安婦問題をめぐっては、全世界で日本はぬぐいがたい深刻な汚名を着せられている。
これはひとえに平成5年、河野官房長官が出した談話に発している」と、河野談話の罪深さに言及。続いて松木国俊幹事長がアピール文を読み上げた。問題の全体像と深刻度を確認するためにも、ここではその全文を紹介しておきたい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130916/plc13091612030003-n1.htm

 

というようなことが起きているという。

 

このへんの問題について、客観的に状況を見ることが出来ない人々が、いわゆるネトウヨの宣伝の成果か増えているけど、その手の日本人はもうちょっと状況を整理しなおすべきではないのか。

あるかないかで単純に言ってしまえば、アジアの人々が騒いでる虐殺行為だの、従軍慰安婦だの、100人斬りだのははっきり言って存在する。

これは曲げようのない現実の話。

 

 

 

 

そもそも日本は第二次世界大戦で負けてしまったのを忘れたのか?

 

物事があったのかなかったのかってのは、二元論でくくってしまえば実に明快で、ちょっと複雑にして可能だったのか不可能だったのかという検証で同じ物事を捉えても割りに明快な答えというのは出やすい。

でも、世界の東西の所属を決めることになった第二次世界大戦の戦後処理の中で、これら非常に明快な物事の区分けよりも、戦勝国の立ち位置を決めるために敗戦国は政治的な戦後処理を行われたと言っても過言ではない。

 

つまり、これは負けてしまった以上、敗戦国では「白いカラスが空を飛ぶ」ことが実際に起きるようなことでさえ甘受させられる状況になってしまったのであって、あったのかなかったのか以前に、あったんだよと言われたらそれまでの状況というものが出来上がってしまった。

その後時代に応じてその強制力の強弱が多少はかわりこそすれ、その状況というものは基本的に変わってない。

いわゆる、戦後レジームというやつに我々はまだ引きずられているってことを、日本人は忘れかけているけどその他の世界の人々は全然忘れてないってこと。

 

政治的に存在する戦争犯罪の数々

 

「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」

「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」

カーチス・ルメイ

 

あったのか、なかったのか日本軍の野蛮行為?答えは「存在する」である。

 

 

あんまりこれを言う奴がいないのが日本の右翼の不思議だけど、日本で東京大空襲など、非戦闘員が大虐殺された連合国側の野蛮行為を指揮したルメイは叙勲されている。

この一事から明らかなように、連合国側では探られたくない痛い腹があって、本人たちに自覚がある分、

 

・自分たちの行った事実を忘れてもらいたい

・卑怯で汚らしい日本軍に少々行き過ぎた「報復」を行うことは「被害者」として当然であり、それは戦争倫理を超えた人間の感情である

・日本軍が行った一般市民への蛮行と比べればまだしもマシだ

 

ということにしたい積極的な動機があり事実歴史的に政治力がそのように働いている。

 

そんななかで、あったのかなかったのか。事実そんなことが可能だったか不可能だったか。

そんな議論は空論である。

 

南京大虐殺も、従軍慰安婦も、強制連行も100人切りも厳然として「存在する」、しかも極めて政治的に。

考証するべきなのは歴史より政治ではないのか?

あったのかなかったのかという二元論の問に、三個目の答えが存在している。そしてそのことが愚かな人々の目を塞ぎ耳をふさいでいるのではないか。

 

ルメイへの勲一等旭日章授与は、終戦後の協議の中で、日本政府が決定したアメリカ軍の戦時国際法違反についての賠償請求権放棄の決定を証明するために行われた踏み絵ではないか。

そしてその少し前に、真珠湾雷撃攻撃の立案を行ったあの源田実が自民党所属参院議員の立場でアメリカから勲功章を授与されている。

 

※こうした戦後レジームは、戦後自民党が作り上げてきたものであって、その是非はともかくとして自然に発生したものではないことだけは確かである。

 

 

河野談話・河野洋平の責任追及に意味はあるのか?

 

今まで述べたように、あったのなかったのか論は空論であって、はっきり言ってそんな議論をいくらしたところで何の成果を生むこともないだろう。

 

河野談話、河野洋平氏の責任追及を今から法廷で行うという。まずそれが法廷で受け入れられるかどうかという可能性を脇において、おそらく提訴を企てている連中は責任追及を、従軍慰安婦問題などの歴史的な検証を手段として行うつもりなのだろう。

そして、断言するがそんなことに何の意味もない。

 

結果の是非を問わず、政治家は国会なりの所属する議会において、自分のイデオロギーに信念を賭して自由に政治活動を行うべきである。

その結果の恩恵を今の日本に住んでいて受けている我々が、結果の一部だけをことさらに取り上げて法的に責任を追求することで、政治活動は必ず萎縮する。

 

そして、そういった責任追及を河野洋平に絞り込んで行うことは果たして正しいのか。

こうした戦後レジーム体制は、他にどんな方法があったかという話を抜きにして自民党という党全体で推進してきたものだった。

それは一個人で流れを変えられるような話ではなく歴史的な流れだったのではないか?

 

あの時に別な方法があったと現実的な代案を彼らは示せるのだろうか?

南京大虐殺も従軍慰安婦問題も「存在する」。

そしてそれら政治的な歴史をはねのける国際的政治力など、戦後から今まで日本は首尾一貫して持てた例しがない。

 

従軍慰安婦問題が持ち上がり、世論騒擾する中で、「そんなものはなかった。歴史的に明らかである。」と証拠を持ちだして相手につきつけるような力は日本にはなかったし今でもない。

証拠を持ちだして過去の歴史を論じる資格は今の日本にはない。

なぜならそれで困った事が起きるやつを黙らせる力を持ち合わせてないからである。

彼らが企てている行いは、つまるところアメリカの蛮行ですら墓から掘り起こす結果になるのは火を見るより明らかで、当のアメリカの軍事力の傘の下でしか生きていけない国がやるべき事ではないしやれる事でもありえない。

 

本当に追求すべきは、戦後レジームという体制を作り上げてきたあの当時の関係者であるし、その流れを汲んで、強い選挙の地盤で議員を取り込み、党議拘束という力でイデオロギーの変節を所属議員に強いてきた自民党の体制そのものではないのだろうか。

 

 

「外国の謀略」よりなお悪い原告の思惑 大政翼賛会を復活させるな

危険極まりない一国一党思想に直結する原告の思想

 

この訴訟の原告の狙いというのは、全てが「韓国・中国」に絞りこまれている。

しかし、再び繰り返すが、この原告たちの行いの行き着く先は、はっきり言ってアメリカ軍が墓場に埋めてしまいたい蛮行の掘り起こしに直結して、外交上様々な問題を掘り起こすことになるだろう。

そして、原告にも今の日本政府にも、問題が掘り起こされて日本が孤立することになった結果を打破するだけの力も能力も持ち合わせてない。

 

借金だらけで金が無い、国民は戦争どころか会社に行くのにも命がけの根性なしの群れ、再軍備と言って好意的に支援してくれそうな国はどこにもない、ないない尽くしで手も足も出ない状況ではないのか?

 

そして、このような行為が国内政治的にもたらすものといえば、前述したように政治的な萎縮である。

政治の自由とは、天皇制国家にあって誠に不敬ながら天皇制に疑問を提示する政治家がいてもいいということであるし、自由主義国家において共産党があっても別にいいということである。

 

つまり、政治という国民生活の根の部分ですら解釈や見方は様々にあるものを、歴史的な事実という非常に多面的な問題において、一つの見解を政治家に強いるというのは、果ては一国一党(大政翼賛的)思想に直結していると言っても過言ではないだろう。

 

彼らのいう「歴史」だけが唯一解なのか?

それは何かの勘違いである。

年寄りのみやげ話としての100人斬りも存在すれば、日本刀で100人も人を切れるはずがないという物理的な事実も存在する。

戦地の津々浦々にあったという慰安所で、給金をもらって普通に働いていた慰安婦さんもいた一方で、朝鮮人がいう「強制連行された従軍慰安婦」も存在する。

 

彼らは歴史修正と一様に口にするけども、歴史というものに実態などあった例しがなく、後世に生きる人間の都合や力のバランスにおいてそれは生み出されるものである。

 

そして、歴史に生きた当事者でもないあのような連中が、歴史修正の名を借りて行いたいことは結局は一国一党思想に類似した「彼らの好むイデオロギーの拡散」であって、本当は彼らのような思想の人間にとって忌むべき自由体制である現在の日本政府の、司法の力を借りて錦の御旗を振りかざすことである。

 

戦前にそれらが大政翼賛会という名称で作り上げられてその結果どうなったのかということこそもう一度「歴史」とやらに学ぶべきなのではないか。

 

関連の記事はこちらから→

河野洋平氏と右翼の確執

 

 

 

 

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コメント

    • a
    • 2014年 1月 06日

    デブ管理人、戦後のチョンチャンコロの悪行は無視かw

      • gundari
      • 2014年 1月 08日

      無視しなかったらその悪行をどういうふうに告発できるの?
      何もできない無力を顧みずにでたらめなことばっかり言って歩いてバカを晒すな、見苦しい。
      お前、この記事になんて書いてあるか意味がわかるのか?
      馬鹿すぎて話になってないよ。

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