善人がすることが善行とは限らない


 

 

 スペイン19世紀のフレスコ画、「修復」のなれの果て 悲惨な結末

 

世間でよく勘違いされているのは、「あの人は良い人だ」という言葉について。

良い人の定義を、皆に良い人といわれる人だと一般的に定義してるけど、俺はそれは間違っていると思います。

なぜなら、良い人が善意に基づいてやった事で例えば人が死んだり、碌でもない結果を生み出した場合そいつは評判は良い人かもしれないが結局人殺しだからだw

料理人や医者でも性格がどうとか、人間性がどうとかよく言われるけど、作る飯が美味ければ、難病を治療できればそれは名職人なのであって、結果的に善人と一緒。

 

ところが、アホはどうでも良い重箱の隅をつついては、妬ましい人間をけなす。これが世間で言う良い人の特徴ですw

良い人を自称しながら自分が妬ましい人間を姑息にけなす人間と、批判をものともせずに仕事に没頭してる人間とどっちが良い人かは言うまでもない。

かたや、人は良いらしいが、料金に見合わない屑料理を出す料理人。赤ひげのごとき評判をとりつつ、ただの腹痛と腹膜炎の区別が出来ない医者。

こんなやつ有害以外の何者でもないw

マザーテレサも別に人が良いから祭り上げられたわけではなくて、自分の信念とキリスト教の教義に従って多くの人を助けたからああなったのであって、良い人ってだけで何か違う存在になれると思ってる一般人の考えは、やっぱり妄想なんです。

だから良い人はもてないって話になるんですね。単に外面だけ取り繕って真剣に生きてないから。

 

そういう勘違いに基づいて教えてこられた言葉のなんと嘘の多いことか。謙虚とは人間性の謙虚を指すのかと思えば、単に角を立てないために自分の内心を押し殺して、相手を瞞着するテクニックの一つとして教えられている。

礼儀作法を学びつつ食い物や作り手、贈り物や言葉に心底感動する人間になる教育はせずに、ただ形だけを教えている。これなら、その辺の親よりリクルートの出版物の方が有用かもしれないw

 

人の妬みで鬱陶しい思いをしつつも、自分なりに満足いく人生を送るコツは、世間に蔓延している大嘘に付き合わないことです。

 

そして、本日の結論は、この絵を書いた婆はロクデナシです。「頼まれたからやっただけ」世間で言う良い人が、追い詰められて最後に言う捨て台詞も、お決まりそのまんまw

 

 

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