イデオロギーを”消費”する人々 コンテンツとしての右翼と左翼、小林よしのりの功罪


 

ネット右翼 ネトウヨはイデオロギー?

 

 

>社会の底辺から抜け出せない「絶対弱者」が社会的弱者を虐げる状況を、小林よしのり氏はこう解説する。

 

最近、あちこちに出没する「ネット右翼」を見てて思うけど、「一億総消費者化」が進んでいる気がする。

 

例えば、仕事に関する話題でも、経営者の無能を論評する声が支配的で、社員が実際どうだったか、といった話は殆ど皆無に近いといっていいだろう。

自分が当事者として何か関わりがある、とか明日は我が身的な視点というのが絶無に近い状況になりつつ有ると思う。

 

そして
グーグル、広告ブロックアプリを「Google Play」から削除 ”収益の柱である広告に干渉するな”

の様に、自分の出費は伴っていない、顧客としての資格をそもそも持ってない連中も、まるで自分を客かのような態度で物を言い始めている。

 

全て、会社の興亡という悲喜劇や他人の善意というものを「コンテンツ」として消費する人間が増えすぎた結果としての現象だろう。

 

痛みの伴う当事者でいるより、痛みの伴わない「消費者」としての立場が居心地がいいから、そうなったのかもしれない。

 

 




 

その中でも、古代より人間の暮らしの中で究極のリアリズムだった「政治」がコンテンツになり始めたのは確か1995年頃だったろうか。

「おぼっちゃまくん」「東大一直線」でヒットを飛ばした小林よしのり氏のゴーマニズム宣言がその皮切りだったと思う。ヒットを多数生み出した作家の作品だけあって、相当に世情を賑わしていた。

 

本家 ゴーマニズム宣言
本家 ゴーマニズム宣言
 

この試みは非常にヒットして、2000年くらいにソープランドに遊びに行った時に、オネーチャンの私物でゴーマニズム宣言が全巻揃っていたのに驚いたものだ。

この試みの大きな功としては、今まで知らしむなかれで隠されてきたことが白日の下にさらされ、教科書問題や日教組の問題などについて世間が考える大きなきっかけになったことがあげられる。

今まで、テレビと新聞しか情報窓口がなく、しかもそのヘッドラインしか読むことができなかったB層に、漫画という形で考える機会を提供することが出来たわけだ。

 

しかし、一方で 政治には、それまで基本的に参加者としてアクティブに活動する意外に選択肢はなかったのに、今度は、コンテンツとして売りだされたものを消費して、傍観者と参加者の中間として当事者感覚のない視点を持つ者を生み出してしまった。

 

ネトウヨといわれる連中の議論の様子を見てみればわかるのだけど、(例1 例2 例3)当人たちは議論だと思っているその書いている内容というのが、 「ソースを出せ」という命令にも似た投げかけ、である。

これはつまり、普通のディベートとかだと、相手の言ってることの矛盾を資料を揃えて突き崩して論証するという作業を、相手に丸投げしている、ということ。そしてこれを無視されたら「論破」したことになるらしい。

今まで、自分の主張の論拠まで相手に丸投げか、礼儀を知らないやつらだと思っていたけど、よく考えたら自分は消費者だから面倒は他人にやらせて当たり前だと思っているだけの話なのであって、彼らからすれば当然の「権利」なんだろう。

 

そして、残りは特定政党や人種を連呼するだけの野次。どうにも始末におえない連中を生み出してしまった。

 

そして、こういう連中がこういう感覚で生きていっているおかげで、シャープのSNS担当社員のように、サムスンに金を出してもらっておきながら、金を出してくれた会社への嫌悪感をあらわに公式Twitterで「シャープの製品のことは嫌いにならないで」などという輩が増加し続けている。

会社に勤めたらブラック企業とこき下ろし、経営者の無能を嘲笑して、自分だけは甘い汁を吸いたいというかなうはずもない願いを念仏のように唱え続ける「消費者様」の巣窟。今の日本の若年世代の真実の姿はこう言うべきなのかもしれない。

 

それにともなって、今は選挙対策として、選挙立候補者のAKB48化が進んでいる気がしてならない。通称ゲル、俺達の麻生、安倍ちゃん 全部モーニング娘かAKB48の贔屓の女性を後援するのと同じ感覚なんだろう。

ゲルなどと愛称をつけて、まるでクイズの設問と回答を暗記するかのような要領で、気持ち悪いくらい色んなことを調べまくって、下手したら本人より経歴に詳しいのかもしれない奴が相当数出てきている。消費者として候補者を消費する以上、フィギュアを吟味するかのようにその内容を詳らかにしたいという欲求が有るのだろう。

 

それは、政治のみならず就職活動でも一緒であって、常に自分は選ぶ側として立ち回っている。それは先ほど書いたシャープのSNSの担当社員に顕著に現れていて、実際的に選択権がない人でも「選ぶ権利」があると錯覚する時代がやってきたのだ。

 

ところが、いくら「あれよりこれがいい」「あの会社よりこっちの会社のほうがサービスがいい」などと選んだ所で、それが通用するのはその日の買い物と外食くらいな話であって、実際の社会では相手から拒絶されることもあるし、その詳細なデータを調べるより、それを選んだことで将来どうなるか考える頭脳的な作業のほうが必要なのだ。

 

この一億層消費化が進んでいった結果、日本経済は取り返しがつかないほど没落してしまった。当たり前である。

環境が変わった時に、「消費者社員様」ができるのはクレームの電話を入れることとtwitterとLINEで泣き事を垂れ流す事だけだろう。知恵と力を振り絞って新たな環境の中で優位を築く作業に、参加するという姿勢がないのだから。

 

結局、没落のさなかで、残業が増えた、給料が安いという怨嗟の声を出すことしか出来ない社員ばかりになって、今の状況である。

 

これは、いずれは政治の世界でもそうなっていくのであって、オタクのAKB知識かのように、「安心の自民党」「クソミンス」、「ゲル」や「安倍ちゃん」に詳しかった親衛隊のネトウヨ達も、彼らが今後どうするかということに関しては何の知見を発揮することも出来なかった。

 

TPP反対 売り渡すまじ日本の文化 などと言いながら、夏の羽虫のように業火に飛び込んでいく姿は、滑稽ですらあった。

 

 小林よしのり氏の功罪の罪、大なる罪の部分は「一億層消費者化」を進めてはいけない部分で進めてしまったことだろう。知らないほうがマシだった連中に「知らせてしまった」。

 

今から、我々の日本は新しい形を模索するために、大きな痛みや苦さを伴う複数の治療を経て再生して行かなければならない。

 

 

アジア諸国に、日本の売りだったはずのモノヅクリで敗北したこともいい加減で認める必要があるだろう。営利企業が売上と利益で敗れ去ったということが、どれほど大きいことか認めなければ。

(しかもとてつもない先行者利益を持ちながら)

 

政治的にも、時の勢いが彼らに味方していたとはいえ、敗北したことは認めざるを得まい。

 

そして、国民は国民として、やっぱり消費者ではなく当事者としての正常な立ち位置に帰るべきであって、いみじくもそれは小林よしのり氏が薬害エイズ訴訟の関係者に投げかけた「日常に帰れ」という言葉そのものである。

 

偉そうに「ソースを出せ」「文章が長すぎる」などとほざいたところで、客でもない輩に親切にする奴は世界中どこを探してもいない。

そして、政治家にゲルや安倍ちゃんと愛称をつけた所で、彼らはネトウヨのことを道端のゴミほどにも認識してないだろう。

 

何もかもが乳母日傘で、座ったままやり過ごせると思っているのは、あまりに懦弱な思い違いとしか言いようがない。

 

気に入るものがなければ自分が気に入るものを作る これが当事者である。

私達日本人は、日常に帰らなければならない。

 

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